鬼の太鼓

            須藤 透留

 

 研ちゃんの家の庭に大きな枇杷の木がありました。その枇杷の木には真夏になると、大きな金色の実がたくさんなりました。研ちゃんはその枇杷の木に登って、おいしい実を取って食べるのを、楽しみにしていました。

 ある夏の事でした。おいしそうな枇杷の実が実ったので、研ちゃんは木に登って食べようと思いました。研ちゃんは木登りが上手でしたから、木の幹に抱きつくようにして、すいすいと幹を登り、簡単に枇杷の木の一番下の太い枝まで登りました。すると突然、枇杷の木の幹が空へ向かって、どんどん伸びだしました。研ちゃんはびっくりしました。けれどちょうどエレベーターに乗っているようで、すぐに研ちゃんはおもしろいと思いました。

 枇杷の幹が延びるに従って、研ちゃんはどんどん空へ上がって行きました。研ちゃんの家が遥か下のほうに、小さく見えるようになりました。町全体が見渡せるようになりました。研ちゃんは枇杷の幹にしっかり抱きついて、移り変わる景色を楽しんでいました。するとやがて、研ちゃんは雲の中に入って行きました。雲の中に入ってしまうと、周りは真っ白で何も見えません。でも研ちゃんは平気でした。今にこの雲を突き抜けて、雲の上に出るのだろうと考えていました。ところが、雲の中で研ちゃんは止まってしまいました。枇杷の幹が延びなくなったのでした。研ちゃんは不安になりました。どうしたら良いのか分かりませんでした。

 研ちゃんは「ジャックと豆の木」の物語を思いだしていました。でもジャックは雲の上に出てから、雲の上を歩けたのですが、研ちゃんは雲の中でしたからどうして良いのかわかりませんでした。とても雲の中を歩けそうもありませんでした。幹を地上まで降りてしまおうかと考えていたとき、きれいな着物を着た女性が真っ赤な敷物に乗ってやってきました。

「研ちゃん、ようこそいらっしゃいました。これから太鼓祭りが始まります。ご案内します。この敷物に乗って下さい。」

「え、太鼓祭り?それなあに?」

「まあ、来て見てください。おもしろいですよ。」

研ちゃんは進められるままに、真っ赤な敷物に乗りました。女性は天女と言う人なんだそうです。研ちゃんは天女と手をつないで敷物の上に立っていました。天女のやさしくて暖かい手ざわりが、お母さんを思いだしました。敷物はすごいスピードで雲の中を飛んで行きました。

 敷物は大きな御殿の前に着きました。門の前には、恐そうな黒鬼が二匹、立っていました。研ちゃんと天女を見ると大きな門の扉を開けて中に入れてくれました。大きな御殿の中を通り抜けて、中庭に出ました。そこはどうも雲の上らしく、空はきれいに晴れていました。中庭にはたくさんの鬼が、わいわいがやがやと騒いでいましたが、研ちゃんと天女を見ると騒ぐのを止めて、みんな二人に注目しました。

「さあ、皆さん。大切なお客さん、研ちゃんをお連れしました。これから太鼓祭りを始めます。所定の位置について下さい。」

と天女が言いました。すると鬼達は中庭の周囲にきちんと座りました。研ちゃんは正面のいちばん良い席に案内されました。

 研ちゃんは天女のそばの椅子に腰掛けました。しかし研ちゃんの反対側の席は空いていました。その席は研ちゃんたちの椅子よりは一回り大きくて立派なものでした。そこにはすぐに、とても大柄で立派な衣装を着た、髭の生えた男の人がやってきて座りました。

「研ちゃん、よくいらっしゃいました。私が空の大王です。今日は研ちゃんに、空の太鼓祭りを見てもらいたいと思います。」

大王は言いました。研ちゃんは、

「空にこんなところがあるなんて、学校では勉強しなかったよ。」

と、不思議そうに言いました。大王は

「人間の中で、私達の事を知っている人はほとんどいません。私達は雲の中にいるから、人間には見えないのです。」

と言って、大声で笑いました。

 すぐに太鼓祭りが始まりました。数匹の鬼達が、大きな太鼓をド、ド、ドーンと鳴らし始めました。それを合図に空の証明が消されて、明るいサーチライトが中庭のあちらこちらで照らされました。中庭の中央から噴水が吹き出し、周囲に水しぶきをまき散らしました。その噴水の周囲でたくさんの鬼達がおもしろおかしく、どんでん太鼓のような太鼓を叩きながら、踊り続けました。その様子がとてもおもしろかったので、研ちゃんはすっかり我を忘れて見入ってしました。

 やがて祭りも終わり、すぐに中庭はきれいに片づけられました。研ちゃんも大王や鬼達にお礼を言って、天女に案内されて、真っ赤な敷物に乗り、枇杷の木の所に戻りました。「研ちゃん、今日は来てくださって、ありがとうございました。今日の事は誰にも言わないで、研ちゃんの秘密にしておいて下さい。もちろん言ってもいいのですが、誰も信じてくれないでしょう。」

「天女さん、今日はありがとうございました。楽しかったです。雲の中にこんな所があるとは知りませんでした。またいつか招待して下さい。ありがとうございました。」

と研ちゃんは言うと、枇杷の木の幹につかまりました。すると枇杷の幹はどんどん縮まって、どんどん低くなり、本通りの枇杷の木に戻ってしまいました。

 研ちゃんが家の中にはいると、お母さんがびっくりして言いました。

「研ちゃん、この夕立の中を何処に行っていたの。捜したわよ。」

「枇杷の木に登って、枇杷のみを取ってたんだ。」

「本当?だってあんなひどい夕立だったのに、濡れてもいないじゃあないの。」

「そんなにひどい夕立だったの?」

「あら、研ちゃん。夕立を知らなかったの。変ねえ。下町では水に浸かった所もあるし、なにしろあのひどい雷は、本当に恐かったわ。この付近にも、幾つも雷が落ちたようよ。」

研ちゃんはびっくりしました。研ちゃんが雲の上で太鼓祭りを見ている間、研ちゃんの町ではひどい雷雨があったようだったのです。そこで研ちゃんは、太鼓祭りが地上の夕立の原因ではないかと考えました。しかし、このことはお父さんにもお母さんにも、学校の先生にも話しませんでした。きっと誰も信じてくれないと思ったからでした。研ちゃんは太鼓祭りがとてもおもしろかったのですが、もう二度と太鼓祭りを見たいと思いませんでした。それは、研ちゃんも雷が嫌いだったからです。太鼓祭りの間、またひどい夕立が町をおそうのだ思うとと、町の人やお母さん達がかわいそうだと思いました。けれど、雷や夕立の正体を研ちゃんは知ったので、もう雷は恐くはなくなりました。

 

表紙へ