湖の主とその子供   須藤 透留
 
 昔、ある国の山奥の奥に、大きな湖がありました。湖の周囲は深い森で被われていて、人が近づくことは滅多にありませんでした。その湖から一本の川が流れ出していました。その川は流れ下るに従って田畑を潤し、流域の村の人々は毎日のどかに、平和に暮らしていました。
 ある夏の暑い昼下がりのことでした。その年も良い天候に恵まれて、作物の成長はとても良かったので、村人達は野良に出て、楽しそうに働いていました。
「佐助どん。ありがたいことじゃのう。今年良い天気にめぐまれて。稲も野菜もたんと取れそうじゃ。」
「ほんとうにありがたいことじゃ、陣平どん。仕事にも精がでるというもんじゃ。」
小道で出会った佐助と陣平が空を見て立ち話をしていました。
「だがの。先程から気になっているんじゃが。
あの西の空の黒い雲、急に大きくなってきているんじゃ。何だか胸騒ぎがしてのう。」
「あの雲かいのう。うん、確かに真黒じゃがな。でもこれだけ良い天気がつづいているんじゃから、あれもその内消え去るじゃろう。」
 しかし黒い雲はどんどん大きくなり、空一杯広がって、辺りは夕方のように薄暗くなりました。冷たい雨混じりの風も吹き出しました。
「嵐じゃ。嵐が来る。」
人々は叫びながら家に急いで帰りました。次第に雨風は強くなり、雷も鳴って、夜になると大嵐になりました。激しく半鐘が鳴って、人々が大声でどなりながら村の中をかけていきました。
「川があふれそうじゃ。大水になりそうじゃ。堤を守らなきゃ、田んぼが危ない!。」
 翌朝には嵐は納まりましたが、田んぼは水を被り、村は大変な被害を被りました。
 それから一週間も経たない内に、村は又大きな嵐に襲われて、再び大変な被害を被りました。
「これは氏神様がお怒りになったのじゃ。豊作が続いたので我々がうかれていたから、氏神様がお怒りになったのじゃ。」
 人々はそう言って村の氏神様の社の前に集まり、いろいろと供物を捧げて、お祈りをしました。
「氏神様、どうかお静まりください。私達今後、今一層氏神様を敬い、一生懸命働きますので、どうか今までの無礼をお許し下さい。」
すると社より氏神様がぬうっと現れて、言いました。
「わしゃ少しも怒っておらんよ。皆が幸せそうで喜んでいたところじゃ。わしが嵐を起こしたんじゃあないよ。誰か他の神が起こしたんじゃろ。」
「それでは、私らはどうすればよろしいのでしょうか。氏神様、どうか助けて下さい。」
村人達が一生懸命氏神様にお願いしましたが、氏神様は困った顔をして社に入って行ってしまいました。
 その翌日のことでした。村に作太という若者が川で網を打って魚を採っていました。洪水の後ですからなかなか魚が採れません。何回も網を打った後、やっと一匹痩せたナマズを採ることができました。
「しかたない。今日はこれだけにして帰ろう。この一匹だけでもないよりはましだから。」
と言って、ナマズを竹の篭に入れて帰ろうとすると、篭の中から声が聞こえてきました。
「苦しい。助けて!。水にもどして。苦しいよう。水に、水にもどして!。」
作太はびっくりしました。そして何か魔物でも捕まえたかのように、あわてて篭ごと川の中にほうりこむと、網を抱えて走り出そうとしました。
「待って!待って下さい。お願いがあります。どうか待って私の話を聞いて下さい。」
篭をほうりこんだ川の中から声がしました。
作太はびっくりして立ち止まり振り返ってみますと、川の中からずぶぬれの若い男がよたよたしながら、川岸の方へやってきました。
「私は今あなたに捕らえられたナマズです。
山の中の湖に住んでいました。湖に帰りたいのですが、流れがきつくて帰れません。お願いですから、湖に連れて行って下さい。」
男は水の中に両手両膝をついてしまいました。作太は恐る恐る尋ねました。
「おまえはいったい誰なんだい。どうしてここに来たんだい。」
「私は湖の主の子供です。先日父に叱られて湖を飛び出し、この川を下ったのですが、お腹は空くし、寂しくなるし、で湖に帰りたくなったのですが、この川は流れがきつくて湖へ戻れなくなってしまったのです。そこで父が心配して騒いだため、二回も洪水を起こし、皆様に大変な迷惑をかけてしまいました。もうこれ以上皆様に御迷惑をかけたくないので湖に帰りたいのです。どうか湖に連れて行って下さい。お願い致します。」
 作太は幼い時、おじいさんから湖の主のことについて聞いたことがありました。湖の主が騒ぐと洪水を起こすという話です。そこで作太はこのナマズを湖へ返してやろうと決心をしました。
「ちょっと待っていて。いますぐ桶を取って来るから。」
と言って、作太は急いで家に帰ると手桶を持って川に帰って来ました。手桶に水を一杯に入れて、それにナマズを入れると、作太は湖をめざして、川辺の道を登って行きました。 道は途中からなくなってしまいました。作太は背の高い草をかきわけ、崖を登り、三日三晩かけてやっと湖にたどりつきました。湖にたどりついてみると、大きな大きなナマズが作太達を待っていました。この湖の主でした。
「あ、お父さんだ。おとうさーん。」
と言って手桶の中のナマズはピョーンと跳ねて湖の中へ飛び込みました。
大きなナマズは人の姿になって
「作太さん、息子を助けてくれてどうも有難う。」
頭を低く下げて言いました。
「とんでもない、湖の主さん。息子さんが帰って来れてよかったですね。」
「誠に面目ない。皆さんに迷惑をかけてしまって。もう二度と皆さんに迷惑をかけないようにしますからと村の皆さんにお伝え願いたい。」
と湖の主のナマズは頭をかきかき、平謝りでした。
 作太は村に帰っても、この湖の主と其の子どもの事に付いては誰にもしゃべりませんでした。その後、長いこと村には洪水もなく、来る年も来る年も豊作が続き、村の人々は皆仲良く暮らしました。
 
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