栗の実

 初夏になると、僕達栗の実兄弟三人は、お母さんの栗の木が作ってくれた、小さな家の中で丸々と大きくなっていきました。僕達が大きくなると、家の中は狭くなりました。窮屈で、身動きも十分にはとれませんでした。

「母さん、家が狭くて辛いよ。もっと家を大きく、広くしてよ。」

僕達が文句を言うと

「そうね、もうそんなに大きくなったのね。それじゃあ、お家も大きくしましょう。」

と言って、お母さんは僕達の家を大きくしてくれました。

 真夏になると暑い日々が続きました。僕達の家には窓がありません。四六時中真っ暗でした。でも僕達は、暑かったり、真っ暗だったりしたのは、一向に気にしませんでした。その代わり、僕達は大きくなるに連れて、家の外の世界の事を、いろいろと知りたくなりました。

「母さん、僕達、家の外を見てみたいよ。家の外へ行ってみたいよ。家の外がどうなっているのか知りたいんだ。ちょっとでいいから、家から出して欲しい。」

僕達はお母さんにお願いしました。

「今ね、外に出るととても危険なの。一人前の栗になったら、家の外に出してあげるから、それまでお待ちなさい。」

とお母さんは優しく答えるだけでした。

 秋になりました。暑さもだんだん弱まってきました。僕達三人は、今にもはちきれそうなくらいに丸まると太って、見事な栗の実に成熟しました。

「母さん、僕達こんなに大きくなったのに、まだ、こんなに狭い家の中に閉じこめて置くのはひどいよ。家を大きくするか、家から出すかしてくれないと、僕達、窒息してしまうじゃあないか。」

「そうね、本当にみんな大きくなったわね。もうこれ以上家を大きくできなきから、窓を開けてあげるわね。」

お母さんは家に小さな窓を開けてくれました。 初めて僕達は、きらきら輝く太陽、青い空、白い雲、そしてお母さんの栗の木や、他の兄弟の住む、針のような刺のたくさん生えた家を見ました。

「あの鋭い針のような刺で僕達の家は守られているんだなあ。」

「そうよ。刺が無いと、みんなの家は他の動物に食べられてしまうでしょう。」

「僕達の家はずいぶん高いところにあるんだなあ。恐いぐらいだ。」

「もうすぐみんなはあの地面に降りて、新しい生き方を始めるのよ。」

「ほんと?わあ、嬉しいなあ。楽しみだなあ。外は広々としているなあ。こんな狭い家から早く出て行きたいなあ。」

僕達三人は嬉しそうにはしゃぎました。しかしお母さんの栗の木は悲しそうな顔をしていました。

「ねえ、母さん。どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?僕達がお母さんの所を出て行くのが寂しいの?」

「え、私が悲しそうにしている?あら、あら。ごめんなさい。私、あなた達の新しい出発を喜んでいるのよ。」

栗の木は作り笑いを浮かべて僕達栗の実の兄弟を優しく見つめて、言いました。

「明日になると、あなた達は出発します。そうしたらいろいろな困難がたくさんあるわ。それを全部、あなた達の力で解決しなければならないの。そのために、今日はゆっくり休んで、明日に備えることね。」

僕達は嬉しくて、

「わあい、わあい、明日、出発だ。出発だ。明日からはあの広い世界で生きて行くんだ。」

と大声をあげて、はしゃぎました。しかし、お母さんの所から、地上に降りることが何を意味しているのか、全く知りませんでした。

 翌朝になりました。

「さあ、みんな起きなさい。これから出発よ。あの地面めがけて、飛び降りなさい。飛び降りたら、できるだけ早く、地面の中とか、枯葉や、草の陰に隠れるんですよ。人間や他の動物に見つからないようにね。みんながみんな、全員元気で栗の木になれることを、母さんは神様に祈ってます。」

栗の木の優しい声で僕達は目を覚ましました。お母さんが家の窓を広く開けておいてくれました。僕は飛び降りるのが恐かったのですが、他の兄弟達が飛び降りたのを見て、思い切って地面めがけて飛び降りました。

 運良く、僕は草の上に飛び降りました。おかげで少しも痛くはありませんでした。すぐに僕は草の陰に隠れました。他の兄弟達は一生懸命隠れるところを捜していました。上の方からお母さんが

「ほら、もうすぐ人間が来るわよ。何処でもいいから、早く、みんな隠れなさい。」

とせかしていました。でも栗の木の下はきれいに草が刈ってありました。僕達の隠れる場所はほとんど有りませんでした。僕は運良く隠れる場所を見つけられたので、ほっとしていました。この後どうすれば良いのか、そのことをずっと考えていました。

「母さん、この後僕、どうすればいいの?」

「隠れるところが見つかった子は、人間に見つからないようにじっとしていればいいの。人間に見つからなければ、新しい生き方ができるのよ。」

と言って、お母さんの栗の木は、隠れる場所が見つからない栗達の心配ばかりをしていました。

 僕は生まれて初めて人間を見ました。その人間はバケツという入れ物の中に、地面に落ちている栗をどんどん拾って、入れて行きました。僕は見つからないようにと念じながら、人間のすることをじっと見ていました。人間に捕まって、バケツの中に入れられると、その後何か良くないことが待っていることは、何処となく解りました。

 だんだん人間が僕の隠れている所に近づいてきました。僕は息を潜めて、じっとしていました。見つからないように祈るだけでした。恐ろしさで体がぶるぶるとふるえました。それでも人間は僕の側にやってきて、

「おや、こんな所にもあった。なかなか大きくて、いい栗だ。」

と言って、僕を手で拾うと、入れ物の中に僕を放り込みました。

「母さん、僕はどうなるの?どうすればいいの?」

僕は大声で叫びました。しかしお母さんは昨日見たのと同じ、悲しそうな顔をして、黙ってうつむいていました。

 

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