烏の勘三郎

 僕は烏の勘三郎。四人兄弟の三番目。いたずら盛りの子供の烏です。僕の家は村はずれの大きな木の高い枝の付け根にありました。僕たちのお父さんお母さんは、すっかり大きくなって、食欲の盛んな僕たちの食べ物捜しに、毎日、朝から晩まで飛び回っていました。お父さんお母さんが出かけている間は、とても危険です。僕たち兄弟はおとなしく家の中で待っていました。

 初夏になって、僕たちもすっかり大きくなったので、一人まえの大人になる準備が始まりました。ある日、お父さんが僕たちに羽根の羽ばたき方を教えてくれました。僕たち兄弟はお父さんの指導に従って、兄弟の大きさの順に、大きく羽ばたく練習をしました。僕も三番目に練習をしました。家から出て、すぐ側の枝の上で、大きく羽ばたく練習をしました。僕がお父さんの真似をして、大きく僕の羽を羽ばたくと、体が何処となく浮き上がるような感じがして、とても嬉しくなりました。そこでもっと羽ばたこうとすると、お父さんが

「今日はそれぐらいで止めときなさい。明日もう一度、練習しよう。」

と言って、次の妹の羽ばたく練習にかかりました。僕はとても不満でした。もっと練習すれば、今にも空を飛べそうだったのです。もっと練習をして、お父さんお母さんのように、早く大空を自由に飛んでみたかったのでした。そこで、妹の羽ばたく練習を見ながら、

「お父さんお母さんのいないときに、自分で羽ばたく練習をしてみてやろう。」

と、秘かに決心しました。

 やがて、できの悪い妹の羽ばたく練習が終わると、お父さんも僕たちの食べ物を捜しに出かけました。その後ろ姿を見届けて、僕は家から木の枝に出て、そこで羽ばたく練習を始めました。

「馬鹿、馬鹿、勘三郎。危ないぞ。木から落ちたらどうするんだ。」

兄が大声で言いました。

「兄さん、大丈夫。僕は無茶はしないから。」

と言って、僕は羽ばたく練習を続けました。大きく羽ばたくと、体がふわっと浮き上がりました。その感じがとても快く、誘惑的でした。僕は思い切って、もっと力を込めて、羽ばたいてみました。するとすっかり体が浮き上がって、足が木の枝から離れてしまいました。僕はあわてて木の枝に戻ろうとしましたが、戻りかたがわかりませんでした。あわてふためいて羽ばたいていだけでしたから、ついにその木の枝から、ばたばたと羽音を立てながら地面に落ちてしまいました。地面の上に落ちて、一人になってしまって、僕はどうしたら良いのか全くわかりませんでした。

「しまった。どうしよう。どうやって、家に帰ろう。」

と考え、僕は泣きそうになりました。

 ちょうどその時、運の悪いことに、木の根元に猫が一匹おりました。その猫が足音を忍ばせて僕に近寄ってきました。僕はすぐにそれに気づいて、逃げようとしました。、飛び上がろうとして、大きく僕の羽根を羽ばたきました。しかしあわてて羽ばたくだけですから、すぐにまた地面に落ちてしまいました。そこを僕は猫に襲われてしまいました。

 僕は激しい痛みを感じました。その猫に噛みつかれました。僕は恐怖と痛みで体を動かせませんでした。猫は僕をくわえると、どこかへ行こうとしました。

 その時、大声をあげて女の子が数人、猫の方に駆けてきました。それを見た猫はあわてて、僕をその場に残したまま、どこかへ走って行ってしまいました。僕は痛みに絶えかねて、地面に横たわっていました。恐怖で体が振るえていました。お父さんやお母さんが、早く僕を助けにきてくれることを祈るだけでした。

 すぐに女の子達は僕を取り囲むようにして、しゃがみ込みました。何か話ながら、僕を見ていました。

「きっとけがをしているのよ。あの猫に噛まれたんだから。」

「どうする?」

「山田先生の所に連れて行けば?あの先生だとこの烏をどうにかしてくれるかもよ。」

「そうしましょう、そうしましょう。」

一人の女の子が僕を捕まえようとしました。人間に捕まったら、何をされるかわかりません。僕は必死で、全力をふり絞って、僕の鋭い嘴で、僕の方に延ばされた女の子の手を攻撃しました。女の子は

「きゃあ、痛い!」

と言って、手を引っ込めました。

「これじゃあ、連れて行けないわね。」

「木村のおばさんを呼んでくるから。みんなここで待ってて。」

別な女の子がそう言うと、どこかへ走って行きました。他の女の子達は僕の事をのぞき込んだまま、何かしきりと話し合っていました。 しばらくすると、先ほどの女の子と中年の女性が、紙の箱を持って帰ってきました。その中年の女性は、持ってきた紙の箱を僕の上にかぶせると、僕が抵抗する間もなく、僕を箱の中に入れて、蓋をしてしまいました。  僕は箱の中で恐怖に振るえていました。これからくる運命を恐れていました。箱の外では女の子達の声が聞こえました。僕は痛む体を箱の底に横たえて、次に来る運命を待っていました。女の子達は僕の入った箱を持ってどこかへ歩きだしました。

 この村には獣医さんはいません。女の子達が僕を連れてきたところは村の診療所でした。そこには、お医者さんがいました。お医者さんなら、僕の傷を治せると女の子達は考えたのでしょう。

 お医者さんは僕の入った箱の蓋をそっと開けて僕を見ました。僕はお医者さんでも、人間である以上、信頼はしません。お医者さんが手を延ばして、僕をつかもうとしても、僕は僕の鋭い嘴で攻撃しました。お医者さんは苦笑いをしていました。

 お医者さんは何か厚地の手袋をして、僕を捕まえました。僕が嘴で攻撃しても平気でした。僕の体を調べて、

「体を噛まれた傷があるだけだから、二三日で良くなると思うよ。そのあいだ、私が預かって置きましょう。」

とお医者さんは女の子達に説明しました。

 僕の体の傷に薬が塗られました。僕の口が無理やりにこじ開けられて、甘い薬をスポイトで飲まされました。その後、別の大きな段ボールの箱に入れられました。段ボールの箱の中は真っ暗です。僕は仕方なく、箱の中で横になって、じっとしていました。

 それから何時間かたったと思います。段ボールの箱が開けられて、僕はお医者さんにより無理やりに薬を飲まされました。それと一緒に、何かおいしいものと、水とをいっぱい食べさせられ、飲まされました。おかげでおなかも一杯になり、喉の渇きも落ちついて、体の痛みも楽になりました。お医者さんと言うものは、怖そうで、優しそうで、よくわからない、と僕は感じました

 このようなことが何回が続いたと思います。僕は箱の中で立ち上がれるようになりました。このお医者さんは何かおいしいものを食べさせてくれることがわかったので、その内に僕の方から口を開けて食べ物をもらうようにしました。しかしまだ、人間を信じる訳にはいきませんでした。

 それからまたどれぐらいたったかわかりません。ある日僕は大きなケージに入れられました。ご飯と薬とは、お医者さんが食べさせてくれました。僕はその大きなケージの中でぴょん、ぴょんと、止まり木から止まり木へと移れるようになりました。羽根もばたばたと、羽ばたけるようになりました。僕の体の傷も治って、僕はすっかり元気になりました。

 ある日、僕が猫に噛まれたとき、助けてくれた女の子達がやってきました。お医者さんと、女の子達が仕切りと僕の事を話し合っていました。

「先生、本当に外に出しても大丈夫?」

「ああ、これだけ元気になれば大丈夫だよ。もう飛べるみたいだし。」

「それじゃあ、あの木の下で離してやればいいのね。」

「そう、そうしたら、きっと親が迎えに来るだろうとおもうよ。もし、飛べ無かったら教えてね。」

「それじゃあ、ケージごと借りて行きます。」 女の子達は僕の入ったケージを持って、僕の家のある、大きな木の根元にやってきました。ケージを地面の上に置くと、女の子の一人がケージの入口を開けました。僕はどうしたら良いのか良くわからなくて、しばらく成りゆきをみていました。

「もう、お父さん、お母さんが迎えに来ているわよ。早く、お父さん、お母さんの所にお帰りなさい。」

一人の女の子が言いました。

 僕は警戒して周りを見まわしました。すぐ側の枝に、なつかしいお父さんとお母さんが止まっているのを見つけました。とても心配そうに、僕の事を見ていました。僕はすかさず、ケージの入口からとび出すと、思いきり羽根を羽ばたいて、お父さんお母さんのいる枝に飛んで行きました。お父さんお母さんのいる枝に僕が止まると、お父さんお母さんはより高い枝に飛び上がりました。僕も続いてその枝に飛び上がりました。それを繰り返して、僕は無事に自分の家に帰ることができました。

 僕の家に帰ると、兄弟達がとても喜んで迎えてくれました。下の方を見ると、先ほどの女の子達が僕の方を見上げていました。こうやってみると、みんな優しそうな女の子ばかりです。でも自分一人だけで、近くから人間をみると、やはり恐かったことを、思いだしました。お父さんお母さんは特に僕の事を叱りませんでした。しかし僕はとても深く反省しました。

 

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