十五夜兎

 いつものように、二人だけの夕食を終えると、お母さんはすぐに内職の仕事に戻りました。順君はちゃぶ台の上の食器を流しに片付け、テレビをちらりちらりと見ながら、茶碗やお皿を洗っていました。テレビの画面にはまん丸の月が映されて、アナウンサーがしきりと何かの説明をしていました。

 「お母さん、仲秋の名月ってなあに?」

順君はテレビの番組でしきりと言われていた言葉の意味を、お母さんに聞いてみました。

「仲秋の名月、て、十五夜お月さんのことよ。そういえば、今日はお月見ねえ。」

「昭夫君の家では、今夜、お月見をするんだって。お月見って、ただ月を見るのと違うの?何かするの?」

「お月見ってねえ、萩とすすきを生けて、お団子をお供えして、お月様をお祝いするのよ。順ちゃんはまだお月見をしたことがないわね。ごめんね、順ちゃん。今年もお月見をしてあげられなくて。」

お母さんは仕事の手を止めて、うつむいてしまいました。順ちゃんは何かお母さんを困らせるような事を言ったような気がして

「お月見なんかしなくてもいいよ。外に出たらお月様はみれるもん。」

と慌てて言って、お茶椀を洗い続けました。

 順ちゃんの家は一間だけの小さな家で、庭もありませんでした。隣の家と軒をくっつけて建っているために、窓から空もほとんど見えませんでした。順ちゃんは皿洗いの仕事を終えると、狭い玄関から外の小路に出てみました。向いの家の屋根のすぐ上に、上り始めたオレンジ色の大きな月が見えました。

「これがお月見の月なのか。ずいぶん大きくて赤いんだなあ。やっぱり、仲秋の名月ってちがうんだなあ。」

と独り言を言って、暫くぽかあんとして、月を眺めていました。

 眺めている間に、月は少しずつ空に登って行きました。順君は登って行く月を見ながら、「でも、何か変だなあ。何処となく変な月だなあ。どうしてなんだろう。」

といぶかしく思っていましたが、暫くして、やっと変だと思った理由が分かりました。

「そうだ。やっとわかった。お月様に兎がいないんだ。だから月がのっぺらぼうで、おかしかったんだ。」

 順君はそのことをお母さんに報告しようとして、歩き出そうとした時、とんとんと順君の背中を叩く人がいました。順君が振り返ってみると、大人ぐらいの大きさの黄色い兎がにこにこ笑って立っていました。

「やっと、お月様に兎がいないことに気付いたね。」

順君に向かって兎が言いました。順君は喫驚しました。こんなに大きな兎を見たことが有りません。おまけに言葉を話すのですから、驚くのは当り前でしょう。でも順君は気を取り戻して言いました。

「君は誰?本当に兎なの?ぬいぐるみじゃあないよね。」

「は、は、は。僕は十五夜兎だよ。あの月に住んでいる兎だよ。今日は特別に里帰りするんだ。一年に一度だけ、お父さん、お母さんの所へ帰れるんだ。」

「ところで、僕には何の用お?」

「僕んちでも今日、お月見をするんだ。で、君を招待しようとおもってさ。」

「今日、君んちでもお月見するの?君んち、近くなの?」

「遠くだけど、僕が連れて行くよ。」

順君は兎がするお月見を、見てみたいと思いました。でもすぐにお母さんの事を思いだしました。

「うんん。でも、お母さんが心配するから。」「大丈夫。今、君のお母さんに聞いたら、行ってもいいって、言ってたよ。」

「じゃあ、ちょっとだけ行ってみるかなあ。」「うん、おいでよ。ほら、僕の背中にしっかり、つかまってね。」

 順君はしっかりと兎の背中につかまりました。兎は順君を背中に背負ったまま、ぴょおん、ぴょおんと跳ねて、町を跳び越え、田圃を跳び越え、森を跳び越え、山を跳び越えて、広い野原にやってきました。そこには草や木の葉で作られた家が一軒有りました。その家の前には祭壇が設けられていて、その上には萩の花とすすきが生けて、飾ってありました。祭壇の中央には大きなお皿があり、その上には美味しそうなお団子が山のように盛ってありました。その祭壇の周りでは、四ん匹の大きくて黄色な兎が飛び跳ねて、楽しそうに遊んでいました。

 十五夜兎は

「ただいま。順君を連れてきたよ。」

と言って、家の脇に跳び降りました。すると四ん匹の兎達が集まってきましたので、十五夜兎は順君んに家族を紹介しました。

「こちら、僕のお父さん。こちら、お母さん。こちら、お姉さんに、弟。」

「遠くより、わざわざ、よく、いらっしゃいました。」

お父さん兎が言って、順君を祭壇の前の一番良い席に案内しました。順君も

「おじゃまします。」

と言って、勧められた所に座りました。

「それじゃあ、お月見をはじめましょうね。」とお母さん兎が言って、全員に、木のはっぱのお皿に山盛りにしたお団子を配りました。

「いただきます。」

と言って、順君も兎達と一緒に、雲一つ無い星空に浮かぶ、まん丸で美しいお月様を眺めながら、お団子を食べ始めました。そのお団子はとても美味しくて、例えようが有りませんでした。順君はとても幸せでした。兎達といろいろな話をして、お団子を食べていると、いつのまにかお皿の上には、お団子が五つしか残っていませんでした。

 順君はお団子を食べるのを止めました。急にお母さんの事を思いだしました。このおいしいお団子をお母さんに食べさせたかったのでした。この様子を見て取ったお父さん兎が

「まだ食べれるでしょう。遠慮なく食べて下さい。」

といいましたが、すぐその後から、お母さん兎が

「ほ、ほ、ほ。そうでないのよ、お父さん。順ちゃんは、順ちゃんのお母さんにこのお団子を食べさせたいのよ。」

と、順君の思っていたことをずばりと言い当てしました。順君はどうしたら良いのかわからなかったので、困って頭をかいていました。お母さん兎は言葉を続けて

「順ちゃん、お母さんの分はちゃんととってありますから、心配しないでみんな食べてちょうだいね。」 

と言いました。

「順ちゃんって、本当に優しくて、お母さん思いなのね。」 

お姉さん兎が言いました。すると十五夜兎が胸を張って言いました。

「だから僕は順君が好きなんだ。だから僕は今日順君を招待したんだよ。」

順君は余りに誉められたので、少し顔を赤らめました。それを見た兎達はわっはっはっはと笑いこけました。

 お腹いっぱいおいしいお団子を食べた後、順君と兎達は歌を歌ったり、ゲームをしたりして楽しい時間を過ごしました。だいぶ月も高く登ってきました。

「順君、ぼつぼつ帰らないと。お母さんも心配するだろうし、ぼくも、ぼつぼつ月に帰らなければならない時間なんだ。」

十五夜兎が言いました。

「うん、そうだね。とても楽しかった。」

順君が言うと、兎のお母さんが、

「そう、良かったわ。またいらしゃいね。これはお母さんへのおみやげよ。」

と言って、大きな包を順君に渡しました。

「どうもありがとう。さようなら。おやすみなさい。」

と順君はお礼とお別れを言うと、十五夜兎の背中にしっかりと捕まりました。兎は来たときと同じように、ぴょおん、ぴょおんと山や田圃や町を飛び越えて、順君の家の前の小路に帰ってきました。

「それじゃあ、順君、また会おう。さようなら。」

「兎さん、今夜は本当にありがとう。楽しかったよ。」

順君はぴょおんと空高く跳び上がった兎に、ずうっと、ずうっと、手を振っていました。するとその内に、お月様の中に突然兎の模様がかえってきました。順君は

「兎が無事に月に戻れたんだなあ。」

と思いました。順君が家の中に入ってみると、お母さんは依然として仕事を続けていました。お母さんは順君を見るとにっこりと微笑んで言いました。

「おかえり。楽しかったかい?。」

「ただいま。うん、とっても楽しかったよ。これ、お母さんにおみやげ。兎さんから。」

「おみやげ?なあに、それは」

「お団子だよ。お母さんへのおみやげだって。兎のお母さんがぼくに渡してくれたんだ。とてもおいしんだよ、このお団子。」

「食べてみてもいい?」

「うん、今お皿に入れて上げる。」

順君は包を開けると、中の団子をお皿に盛って、お箸をつけて、お母さんの所に持って行きました。お母さんは仕事の手を休めて、美味しそうにお団子を一つ食べました。

「本当に美味しいわね。こんなに美味しいお団子、食べたことが無いわ。順ちゃんも食べたら。」

「僕はお腹いっぱい食べてきたから、今はお腹がぱんぱんだよ。」

順君はぽんぽんと、お腹を叩いてみせました。「もう一つ、たべてもいいかしら?」

「これ、みんな、お母さんへのおみやげだよ。お母さんが食べて下さい。」

順君は、お母さんが美味しそうにお団子を食べるのを黙ってみていました。その時、お母さんの手が微かに震え、目から涙が一滴流れたのも見落としませんでした。

「おかあさん、いつもありがとう。」

順君は心の中でお母さんにお礼を言うと、また小路へ出てみました。空には先ほど見た月が高く登って、十五夜兎が仕切りと順君に向かって手を振っていました。順君もずうと、ずうと、月に向かって手を振っていました。

 

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