蛍   須藤 透留
 
 若くて美しい泉の精は、山奥の深い谷に一人で住んでいました。そこの山々は深い緑の木々に覆われていて、その谷間にある泉には冷たくて透き通った水が一年中懇々と湧き出していました。春になると泉の周りには色とりどりの花が咲き乱れ、夏には全てを焼き尽くしてしまいそうな太陽の光がじりじりと照りつけました。秋には赤や黄色の紅葉が山々を覆い尽くし、その綺麗な紅葉の葉っぱが風に飛ばされて泉に落ちて、水面に錦の模様を作って流れていきました。冬には真っ白な雪が全てを埋め尽くし、見渡す限りの白銀の世界を作りました。
 泉の精は、綺麗な水で身を清め、四季折々の花で身を飾り、小鳥達と歌を歌って、楽しく満ち足りた日々を過ごしていました。
 或初夏の夜のことでした。泉の精は誰かに呼ばれて、はっと目を覚ましました。辺りは全て寝静まって寂しく暗く、満天の星がきらきらと輝いているだけでした。
「泉の精さん、お願いがあります。山の向こうの小川に住む蛍さんが死にそうなんです。そこの小川は人間の出すゴミで汚れて、蛍さんが住めなくなってしまいました。どうか蛍さんを、ここの綺麗な泉に引っ越しさせてください。」
泉の精を呼んでいたのは年老いたミミズクでした。
「あら、ミミズクさん。こんな夜遅くまでご苦労さん。そうね、いいわ。ここは未だ寂しいくらいだから。連れていらっしゃい。」
「泉の精さん、有り難う。きっと蛍さんも喜びます。今すぐ連れてきますから。」
と言ってミミズクは飛んでいきました。
 泉の精が又うとうとしていると、ミミズクか再びやってきて
「泉の精さん、蛍さんを泉に引っ越しさせておきました。ではまた。」
と言って飛んでいきました。
泉の精は生返事をしてその後ぐっすりと寝込んでしまいました。
 翌朝、泉の精が泉で体を清めようとして吃驚しました。足下の水の中に見慣れない醜い虫がうようよと歩き回っていたのでした。
「あれ、あんた達、誰あれ?」
「私たち、夜の内に引っ越してきた蛍です。」「え、蛍?あんた達が蛍なの?こんな子、私、嫌だわ!気持ちが悪くなるんだもの。」
それを聞いて蛍の幼虫はみんな腹を立てて、泉の底の石の下に潜り込んでしまいました。泉の精もかんかんに怒ってしまいました。
「こんな美しい泉に、あんな醜い虫を連れてくるなんて。ミミズクさんは何を考えているのでしょう。全く!」
 泉の精は夜になったらミミズクさんを呼んで文句を言い、蛍の幼虫を連れて帰ってもらおうと思いました。その日、泉の精は水の中には入らないで、一日中いらいらして過ごしました。
 夜になりました。日はとっぷりと暮れて空には星がきらきらと輝きを強めていました。泉の精はぶつぶつ文句を呟きながらミミズクが現れるのを今か今かと待ち続けていました。そしてミミズクが現れると開口一番
「何であんな醜い虫を連れてきたのよ!」
と大声で怒鳴りました。ミミズクは吃驚して「だって泉の精さんが連れてきていいって言ったんじゃあないですか。だから連れてきたのに。」
「でもあんな、気持ちの悪い虫だとは言わなかったから、連れてきていいって言ったのよ。もし初めからそうとわかっていたら、連れて来ていいなんて言わなかったわ。」
「確かにちょっと醜い虫だけど、あんなに綺麗に光っているじゃあないの。ここにはぴったりの虫だと思うんだけど。」
ミミズクは泉を指さして言いました。
「私の泉は星の光を映してそれは綺麗よ。それだからあの醜い虫は似合わないのよ。」
泉の精はますます腹を立てて言いました。
「は、は、は。泉の精さん、今、泉で光っているのはあの私が連れてきた蛍の子供なんですよ。」
と言われて、泉の精は水面に顔を近ずけて、水の底を良く見てみました。底にはあの醜いと思った虫が淡くて青い光を放っていました。
「あら本当。まあ綺麗。本当にここにぴったりの虫ね。」
泉の精はがらっと態度を変えて、にこにこして言いました。それからは泉の精は蛍の幼虫を嫌がらなくなりました。
 夏になると蛍の幼虫はどんどん蛍となって、泉の周囲を飛び回りました。夜の泉は、夜空の星が全てこの泉の周りにやってきたかのようにきらきらと明るく輝きました。泉の精はその中を楽しそうに歩きました。又或時はその着物に蛍をたくさん止まらせて、泉の上でダンスを踊ったりしました。泉の精は夏の夜が大好きになりました。
 
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