赤とんぼのかんたとどんた
高原の夏。空は真っ青。白い雲が山の端から生まれて流れて行きました。山から吹き降ろすひんやりとした風に乗って、赤とんぼの群れが広い草原の上を行ったり来たりしていました。萩や葛の花が咲き、すすきの穂が出だした草原には、いろいろな虫たちが一生懸命働いていました。その虫たちの中に、葉の陰に隠れてあたりをうかがっている虫がいました。それはかまきりでした。
赤とんぼの群れの中に、ぼんたとかんたの二匹の仲良しのとんぼがいました。
「どんたくん、やはり高原の夏はいいねえ。涼しくて過ごし安いし、食べ物も沢山有るし。でも、僕たちぼつぼつ生まれ故郷の里へ降りて行く頃じゃあないかい?」
「ちょっと待って。ほら、捕まえた。美味しそうな蚊だ・・・。うん。僕たち、ぼつぼつ出かける頃かな。こいつ、助けてくれって手をこすっている。そうはいかない。こいつを食べなきゃあ僕達とんぼは生きて行けないんだ。ところで、他のとんぼ達はなんと言っている?里にはみんなそろって出かけるはずなんだけれど。」
「まだそんな話はないよ。だけどぼつぼつ里で生活する準備もしておかなきゃあ。僕達すっかり立派な大人になったからね。ええと・・ほいと。ぼんたくん、僕も美味しそうな蚊を捕まえた・・。うるさい。大人しく僕のごちそうになれ。」
「かんたくん、そいつはだいぶ抵抗したね。」「なんの、なんの。我々優秀なハンターは、これくらいじゃあないと面白くはないよ。ハンティングは面白いし、捕まえた獲物は美味しいし、我々とんぼに生まれて本当によかったね。」
「そうだね。かんたくん。あの明るい太陽も、青い空も、白い雲も、この冷たくて美味しい空気も、みんな僕たちの物だね。ここは僕たちの天国だ。だいぶ飛び回ったから、涼しいところで少し休もうか。」
「それじゃあぼくはここで休むよ。」
「僕はここでね。すこし、やすもっと。」
「どんたくん。そこはあぶ・・・!ああ!」「ああ、苦しい・・・!助けて!」
「どうしよう、どんたくん!かまきりなんだ!どうしよう!」
「助けてくれよ。かんたくん。親友じゃあないか!僕を見捨てるのかい?」
「どんたくん。許してくれよ。相手がかまきりじゃあどうにもできないよ。」
「あは、は、は、は。わしに捕まったら、もうおしまいさ。さて、美味しそうな所からいただくとするか」
かまきりは恐ろしい目付きでぎょろりとかんたをにらみつけると、どんたの胸の部分から食べ始めました。どんたの足と羽とが空しく震えていました。もうどんたは声をたてることもできませんでした。
「どんた、許して!僕には今の君に何もしれやれないんだ。助けたくても相手が悪過ぎるんだよ。今の僕には逃げ出すことしかできない。そして君の分まで生きて、君に対する償いをするよ。さようなら、どんた!」
と言うとかんたは空へ飛び上がりました。どんたは最後に身震いを一つすると、もう動かなくなってしまいました。
かんたは空を飛びながら言いました。
「どんた、ごめんよ。助けられるものなら、助けたんだ。だけど相手がかまきりじゃあ、僕には、いや僕たちの内でも、誰も助けることができないんだ。僕たちが他の虫を食べて大きくなったように、僕たちを食べて大きくなる虫もいるんだ。これが世の中の仕組みなんだ。たまたま、君が食べられてしまったけれど、場合によっては僕が食べられていた可能性もあるんだよ。運だよ、運だ。運が良くて生き残った者が、食べられた者の分まで生きるんだ。きっと僕はどんたの分まで生きてみせるよ。」
かんたは他の赤とんぼの仲間に混じると、力いっぱい羽を震わして、食べ物の虫を捜すのでした。