不できな神様のしたこと    須藤 透留

 

 私はふうらいぼうの神様。神々の中では一番できの悪い神様と言われている。もう六千九百三十八才になったけれど、これまでたいした仕事もしないでただぶらぶらと過ごしてきた。最近人間界に行ってみたら、今でもけっこう人間は苦しみ悩んでいることを経験した。これからの話は、私の経験談の一つである。

 私がある町の上空をふらついていたら、どこからか細くて苦しそうなうめき声が聞こえてきた。大変なことが生じていると直感した私は、直ちにその声がしている家の中にしのびこんでみた。そこには若い娘が首にひもをまきつけて倒れていた。そこで私は階下にいた母親の心の中に入って娘が大変であることを告げた。母親はあわてて階段をかけ上り娘の部屋のドアを開けようとしたが、ドアは内側からつっかえ棒がしてあり、母親の力では開けることができなかった。私は部屋の中へ入り、つっかえ棒をはずれ易くした。そのため母親はドアを開けることができた。室内に飛び込んだ母親は、娘の首にかかったひもをとき、救急車で娘を病院へ連れて行ったのである。

 この娘は二十四才。大学を卒業してからある会社に就職したが、半年もたたない内に会社に行けなくなった。両親は元気づけたり励ましたりして、何とかして会社へ行かそうとしたが、娘は体の不調を訴えて会社へ行こうとしないばかりか、その内自分の部屋に閉じ篭ってしまった。母親が病院に連れて行こうとしたり、友達を呼んで娘に会わせようとしたため、娘はドアにつっかえ棒をして誰も室内に入れようとはしなくなった。このような状態ですでに一年が経過していた。

 母親は食事を作ってドアの外においておいたが、娘は全く手をつけないばかりか、時にはその食事をひっくりかえしてしまった。父親はドアをこじ開けて娘を怒鳴りつけたり蹴飛ばしたりした。娘は泣き叫び、カミソリで自分の手首を切ったことも何回かあったとのことだ。

 娘が病院から退院した夜、両親は娘がすっかり精神病になったと話し合っていた。病院からある精神病院を紹介されていたので、どうしたら娘をその病院に連れて行けるかについて話し合っていた。私は娘の心の中に入って娘の苦しみの原因を知っていたから、この娘は病気では決してないということをこの両親に教えてやる必要があると考えた。その夜私は両親の夢の中に入って両親を説得したのである。

 翌朝父親は母親に言った。

「美枝は決して病気なんかじゃあない。美枝はただ苦しんでいるだけなんだ。自分の苦しみを解って欲しくてああしているだけなんだ。僕達が美枝のことを理解しないからああして訴え続けているだけなんだ。美枝は自分の人生を自分のやり方で生きたいだけなんだよ。それなのに僕達はあの子を僕達の型におしこめてしまった。会社でもあの子は単なる道具として扱われ、あの子は身動きができずに苦しんでいたんだ。それなのに僕は美枝を苦しい所にもどすことばかり考えていた。本当にかわいそうなことをしてしまった。昔の美枝はもう死んだんだ。今の美枝には思いきって美枝らしく生きさせよう。今後は僕の方から美枝には何もしない。美枝が自分で考え自分で行動するのだ。美枝が頼んできたときだけ手伝うことにしよう。」

 母親が言った。

「私も昨夜同じことを考えました。決してこちらから手を出さずに、美枝を見守り支えていきましょう。」

 私が両親を説得したように、それ以後両親は娘のために何もしなくなった。真夜中に娘は冷蔵庫の中に食べ物がないと言って茶わんを投げ皿を割った。父親は決して怒らなくなったばかりでなく、急いでコンビニへ娘の欲しがるものを買いに行った。つまり両親は娘が要求することだけを、こまねずみのように動きまわってやっていただけだった。私はこれでいいのだと両親に告げた。

 それから一ヶ月もたたないうちに娘は自分の部屋を掃除するようになった。やがて娘は自分で自分の欲しいものを買いに行くようになった。ある日、娘はとてつもなく高価な外国製のバックを欲しがった。母親はびっくりして動揺したけれど、父親と相談してお金を出すことにした。翌日娘はデパートにそのバックを買いに出かけたけれど、夕方には何も買わずに帰ってきた。母親には自分の気に入ったものがなかったからと言ったけれど、娘が両親を試しただけなのである。

 娘は一日中家の中をぶらぶらして、テレビを見たりファミコンをしたりして過ごしていた。両親はそれを許して、口出しは一切しなかった。その内娘はしきりと外出するようになった。母親は行き先を大変心配したけれど、父親は娘を信用しなければいけないと言って、母親をたしなめた。母親にとって娘の生活に口出しをしないということは大変辛いことのようだ。私は母親に、以前加わっていた合唱団に再び加わることをすすめた。

 母親の心配は娘の絵の勉強のためのパリ行きで爆発した。父親は必死に母親を慰め説得した。娘はさめた目で両親を見ていた。私もじっと両親を見ているだけにした。

 確かに娘は絵を書くことが好きだったが、両親は娘が絵で一生食べていけるとは思わなかった。それでも父親は娘を信じるべきだと考えたし、自分自身の足で社会へ踏み出して行くべきだと考えた。失敗を恐れてはいけないと考えた。

 その後、娘はパリ留学に必要な手続きを全て自分で行って、成田よりたった一人でパリへ飛び立っていった。そこで私もこの家から出て行くことにした。

 

 

表紙へ