白鳥座    須藤 透留

 夏の北の大地は豊かでした。大きな沼のほとりに、妻と私とは住まいを構え、四羽の子供を育てていました。静かな水面に真っ白な美しい姿を写しながら、私たち家族の楽しい生活が続いていました。

 夏が終わり秋が深まっていく頃には、子供達はすっかり大きくなりました。だんだん私たち夫婦と一緒に過ごす時間が少なくなり、子供達だけでどこかへ遊びに行くようになりました。それは子育ての終わりを意味しました。それと同時に、私はこれからやって来る北国の寒い冬を避けて、暖かい南の国へ飛んで行く計画を立てる時期でもありました。食物をいっぱい食べて、充分英気を養うかたわらで、私は他の白鳥の親たちと一緒に、リーダーの白鳥の所に集まって、この地を離れる日時や、旅行コースを検討していました。

 やがて肌をつきさすような風が吹き荒れる日々が続くようになり、この地を出発する日が近づいてきたある日の事でした。遊びに出かけた四羽の子供の内、一羽が夜になっても帰って来ませんでした。私の子供達も、他の白鳥達も、その子がどこへ行ったのか、全く知りませんでした。私たちは仕方なく、夜が明けるのを待ち続けました。

 翌朝、陽が登ると直ちに、私と妻とは手分けをして、思い当たる所を全て捜してみました。しかし行方不明のわが子を見つけることはできませんでした。そこで他の白鳥達の応援を求めて、もっと広い範囲を捜してみました。丸一日捜し回りましたが、行方不明の子供を見つけることはできませんでした。

 私には行方不明の子供が必ず帰って来るように思われました。行方不明の子供がいつ帰ってきても良いようにと、私は住処の近くだけで生活をするようにして、わが子の帰りを待ち続けました。

 しかし日は一日、一日と過ぎ去って、やがて出発の日が来てしました。そこで私は重大な決断をしなくてはなりませんでした。それは行方不明の子供を見捨てて、妻と三人の子供と一緒に南の国を目指して出発するか、または私一人ここに残って、もう少し行方不明の子供を待ってあげるかという問題でした。私は悩み続けました。もし行方不明の子供が帰ってきた時、私達がいなかったらと考えると、私はこの地を離れる気持ちにはなれませんでした。他方、このまま待っていても、行方不明の子供が帰ってくると言う確実な証拠も有りませんでした。いろいろと迷ったあげくに、私は妻と子供達を他の白鳥達と一緒に旅立たせて、私一人、もう少しここに残って、遅れて出発することにしました。

 妻は涙を拭きながら、子供達を引き連れて飛び立ちました。私は

「必ず、追いかけて行くからね。心配しないで、気をつけて旅をするんだよ。」

と、笑顔で手を振りながら、見送りました。 北の大地は雪も降り始め、日に日に寒も厳しくなって行きました。沼も氷り始めて、食べ物もだんだん少なくなっていきました。もうこの地に残っていることは限界でした。しかし私には、行方不明の子供の声が聞こえるような気が、何度何度ももするのでした。その度に私は飛び立ち、声のした方向を捜しまわりましたが、行方不明の我が子を見つけることはできませんでした。

 そのようにしている内、私は自分の体力がひどく落ちていることに気づいて、身震いをしました。今の自分の体力では南の国まで飛んで行けないことは明かでした。私は「しまった」と思いましたが、後悔の気持ちは少しも有りませんでした。心の中ではこうなることも覚悟はしていました。涙が止めどもなく流れてきました。私は妻の名前を呼びました。子どもの名前も呼びました。その声は北風に乗ってどんどん南の方へ運ばれて行きましたが、妻や子ども達の所まで届いたかどうか分かりませんでした。私は住処に戻って、体を丸めて、時間が過ぎ去るのを待っていました。

 その夜はこの時期にしてはめずらしく風もないで、満天の星空になりました。

「これで星空の見納めだろう。」

と独り言を言いながら空を見ていると、星空の中に行方不明の子供が飛んでいるのを、私は見つけました。

 私は全力を振り絞って、星空めがけて飛び上がりました。天高く、高く、舞い上がりました。しかし飛べども、飛べども、子供のいる所まで到達できませんでした。やがて息は切れ、目は霞み、口は渇き、羽ばたく腕はくたびれて、意識も遠くなって行きました。それでも私は我が子の名前を呼びながら、星空めがけて飛んで行きました。

 体がふっと軽くなったので目を開けてみると、私の周りには光輝くダイアモンドのような星々が輝いていました。下の方を見ると、遥か遠くに地球が青く見えました。私は空まで飛んで行って、星になっていたのです。

 

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